最新号へ次の号へ前の号へ
暮らしの歳時記2015春

「春は曙」

 清少納言が書いた「枕草子」の冒頭、一段の書き出しがあの有名な“春は曙”です。「春は曙こそをかしけれ」ではなくただ「春は曙」。簡潔な文章として知られますがそれにしても、これ以上省くところもないほどです。もし、源氏物語の紫式部なら「春は曙こそいとをかしゅうとなむ思ひしが…」などと続きそうです。そこをばっさりと春は曙と言い切ってしまうのです。だからこそ強い印象を受けるのでしょう。今でもこんな言い方しますよね。
「ケーキはショートケーキ」というように。
この時、ケーキといえばショートケーキが一番、またはショーケーキに限るという意味ですよね。間違ってもイマイチという意味ではありません。
 つまり、清少納言は春なら何て言っても曙が一番と言っています。春の明け方、空が白々となった頃、山ぎわが明るくなって紫がかった雲が細くたなびいているとこなんてね。と書いています。清少納言は早起きだったのですね。しかもそんな時間に山の見える屋外にいて、細かく観察しています。春とはいえ、明け方はまだまだ寒いと思うのですが、清少納言は寒いなら凍えるほど、暑いなら溶けるほどの方が好きだったようです。

「春の花」

さて、春になったと気づくのは、木々の芽吹きと花でしょうか。枕草子には木の花のことが書かれています。  「木に咲く花なら、濃くても薄くても紅梅が一番ね。桜は花びらが大きくて、葉の色の濃く、枝は細いのに咲いているの。藤の花は花房が長くて、濃い色の花が立派だわ。卯の花は梅や桜よりも品が劣っていいところもないけれど、咲く時期がおもしろいし、花のかげに時鳥が隠れるっていうから趣があるわね。賀茂祭で斎王が紫野へお渡りになる行列を見に行った時、農家なんかに茂って入り乱れている垣根に真っ白な花が咲いていたけど、素敵だったわ。青色の上に白い単衣を重ねてかぶっている様子は襲の色でいう青朽葉(あおくちば)に似ていい感じ。
 奈良時代、人々が愛したのは梅の花でした。
万葉集にも約120首の歌があるとか。遣唐使によって伝えられた外来種の梅は珍しいのと寒さの中に先駆けて咲き、文学にも取り上げられていることもあって愛されたのでしょう。そうそう、もともとは漢方薬、食用として珍重されたのでした。万葉人が食べた梅干しってどんなのだったでしょう。
 佐々木信綱作詞の「夏は来ぬ」の中に卯の花が歌われています。

「卯の花の匂う垣根に 時鳥早も来鳴きて
忍び音もらす 夏は来ぬ

橘の薫るのきばに 窓近く蛍飛びかい
おこたり諌むる 夏は来ぬ」

 1番と3番の歌詞です。卯の花、垣根、時鳥は清少納言の世界そのまま。佐々木信綱は国文学者で歌人としても活躍した方です。古典は専門分野ですから、感覚の中にはしっかりと枕草子が流れていたのですね。それが、現代にも歌い継がれる歌としてよみがえったのです。「夏は来ぬ」という題ですが、これは旧暦でのこと。4,5,6月は夏でした。今なら「春は来ぬ」といった方がぴったりします。
3番は橘。清少納言も「雨に濡れた白い花の美しさを書きとめて、時鳥もこの木を頼りにすると古い歌にも詠われているからかしら、形容できないほどだわ」
 古事記では垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」と呼ばれる不老不死の力を持った霊薬を持ち帰らせたという話が記されています。内裏には左近の梅、右近の橘が植えられました。平城遷都を行った元明天皇はこの橘を愛し、宮中に仕える犬飼三千代に橘を下賜したのです。大和郡山市にある和菓子の老舗ではこの橘にちなんだお菓子を開発しています。そのために橘の植樹を呼びかけ、多くの人がかかわって「なら橘プロジェクト」も立ち上がりました。奈良の新しいお菓子も誕生中、楽しみなことです。
 枕草子では梨の花のことも書かれています。「梨の花は何だか殺風景だから身近に置いて鑑賞することもないし、文を結ぶ枝としても使わないわ。可愛げのない魅力に欠ける人のことを梨の花みたいなんて言うけど、白っぽい葉の色もやっぱりイマイチよね。でも唐の国ではなぜだかこの上もない花として誌にも詠われているみたい。なぜかしら、と思ってよくよく見ると花びらの端にはほんのり、頼りなく色づいていることに初めて気づいたの。楊貴妃と玄宗皇帝のことを詠った白楽天の長恨歌には「玉容寂寞涙欄干 梨花一枝春帯雨」とあの名高い美人を梨の花にたとえているんだから、不思議。梨の花もなみなみのものではない種類があるのかしら」
 絶世の美女として知られる楊貴妃は唐時代の皇帝玄宗の妃でした。755年の安録山が乱を起こし、皇帝も妃も殺されてしまいます。奈良の都では752年に大仏開眼、754年には鑑真が来日しています。奈良時代と同じ頃の出来事は平安京の人々にとっても折々に思い出し、文に書かれていたのでした。枕草子は1000年頃に書かれたといいますから、奈良時代はだいたい200年から300年前のことになります。私たちが江戸時代を想う感じで平安の人々は奈良時代を受け止めていたということになります。平安時代人は父祖の地として懐かしんでいたのですね。そして、奈良時代や平安時代がはるかな昔のできごととしてかけ離れたところにあるのではなく、今を生きる私たちともいろんな意味でつながっていると感じられます。卯の花の匂う垣根に…と何の違和感もなく歌っていますが、これは奈良時代の人々から受け継がれてきた感覚だったのですね。
 万葉の花が見られるのは明日香村の万葉文化館の庭、春日大社の万葉植物園などがあります。春の風に誘われて出かけてみてはいかがでしょう。



暮らしの歳時記トップことねっとぷれすトップ